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子猫がやってきた!(2)

菊之助が我が家にきて2週間のトライアル期間が終了するころ。

風太はすっかり菊之助と仲良くなっていました。

あとは日向子だわ。

なんだかいつもと違う雰囲気を感じたのでしょう。普段でも、突然の「侵入者」の登場に当然ながらとても警戒していました。

菊之助がものおじせずに家中を歩き回っているから、日向子は「お城」にこもったままぜんぜん出てこなーい。

いつトイレに行ったかもわからない、ご飯もほとんど食べずに隠れています。

そんな状態でトライアル期間が終わりかけていました。私たちは、風太はさておき、日向子と菊之助をトライアル期間が終わる前になんとか対面させようと試みましたが、うまくいきません。

さてどうしよう。菊之助は私たちにすっかりなついています。風太も、あとをついて回ってくる菊之助を少しうっとうしいと感じながらも可愛がっている様子。

相談した結果、日向子はいずれにしても人にも猫にもびびりさんだから、静かに見守ろうということになりました。

私たちは菊之助を正式に我が家に迎ええることに決め、保護者さんにをお返事しました。

こうして正式に我が家の一員となった菊之助。

生後5か月。まだまだヤンチャな時期。毎日、家じゅうを駆け回り、猫じゃらしやボールなどのおもちゃで遊び、よく食べよく寝て...。

とても食いしん坊で、自分の餌をきれいにたいらげたうえに、風太や日向子が食べ残したカリカリも食べてしまいます。

それにとっても甘えん坊。ゴロゴロゴロゴロ喉を鳴らしながら、寝ている私の近くに寄ってきてちょこんと肩のあたりに座ったりします。

膝に乗ったり、抱っこされたりするのも大好きです。

なんとも言いようもなく可愛くて、私も夫もメすっかりロメロ。

そして、心配していた日向子。菊之助が来てから3週間が過ぎたころから、「お城」から出てきて菊之助の様子をおそるおそるのぞくようになりました。

最初は菊之助が近づくとウーとうなりながら逃げていましたが、しばらくすると菊之助のほうに自分から近寄るようになり、驚いたことに菊之助のことを追っかけまわして遊ぶようにまでなったのです!

これには驚かされました。あんなに引きこもりで人見知りだったのに....菊之助の愛嬌ある性格に日向子もほだされちゃったのかなと。

すっかり私たち家族に仲間入りした菊之助は、今日も朝から楽しそうに遊んでいます。

菊之助をもらってよかったあ。

やんちゃで甘えん坊の子猫の存在に、私は毎日癒されてます。

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子猫がやってきた!(1)

このブログを前からご覧いただいてる方はお気づきかもしれません。

そう、我が家に最近、新しい家族が増えました。

3匹目の猫を飼おうと思い出したのは9月下旬のころ。はじめは冗談半分でした。

風太は7歳、日向子は5歳になって、どちらも寝て過ごす時間が多くなってきました。

とくにわたしがひとりの日中はすごく静かなものです。少し寂しいくらい。

もう1匹、飼おうか。そんな気持ちがぼちぼちと湧き上がってきました。

夫とふたりで何度も相談しました。

もう1匹飼うことで生じる良いことと困ることを。

1匹増えてにぎやかになるから家がいまより明るくなるし、保護猫の里親になり助けることができる。

でも、もちろん経済的な負担が増える。餌や猫砂が3匹分必要になるし、避妊手術をはじめとして諸々の医療費も。

先住猫である風太や日向子との相性が合わなかったらどうしよう。

もちろんトライアルで相性を確かめるけれど、風太と日向子はとても仲が良いから、そこへ新入りさんが来たらどうなるのかしら。

3匹になると”人口密度”が高くなるから、それぞれストレスを感じないか。

数が増えるから、トイレも増やして(頭数+1個が普通だとか)いまよりもまめにトイレを掃除していつも清潔にしておかないと。

などなど、心配事のほうがずっと多かったのです。

でも年老いる前にどうしてももう1匹迎えたかった。

思い切って決断しました。

そうと決まったらネットの里親募集の掲示板を見て、我が家に合いそうな子猫を探しました。

日向子が人見知り、猫見知りなくせに気が強くてわがままなところがあるので、今回は男の子猫に絞って探しました。

何匹か候補があがり、そのなかで一番早くにトライアルの話に進んだ子猫を10月23日に迎えました。

それが菊之助です。

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菊之助は、2週間のトライアルのためにうちにやって来たその日から、まったく物おじせず私にすり寄ってきて、家中を我が物顔にぴたぴた歩き回り始めました。

とっても愛嬌があってかわいい。ぜひこのままうちの一員として迎えたい。

問題は風太と日向子。受け入れるかどうか。

とっても穏やかで優しい風太。日向子が新入りで来た時も、シャーというあの猫の威嚇はたった1回だけ、それもなんだか気の抜けたようなもので、そのあとはすぐに日向子と仲良くなりました。

日向子は風太にはすぐなつきましたが、私たち人間にはすごく警戒心が強くて、慣れるまでに約半年かかりました(今でも抱っこは少ししかできません)。私のクローゼットの中に居場所をつくり、その私たちが「お城」と呼ぶところに引きこもりがちです。自分のなわばりを侵されるのをとても嫌がりそう。

さて、いざ風太と菊之助(そのときの仮名はマロン)がご対面。

驚いたことに、というか当たり前ですが、風太がものごい勢いで威嚇。シャー、シャー。なのに菊之助はまったく気にせずに風太に近寄っていくので、さらに風太はパニックに。

(あとで反省したのですが、風太だから大丈夫だろうと、菊之助をケージに入れて様子を見るという最初の大事なステップをスキップしてしまったのは風太にかわいそうなことをしました)

とにかく菊之助が驚くほどの順応力。我が家に来た翌日には、勝手に風太のベッドにお腹をみせて寝てしまう有り様です。

居心地がよかったのでしょうか。「僕はこの家に住むことにしたよ!」と言わんばかりに、目をキラキラさせて歩き回っています。

これは風太と日向子にお願いして、仲良くなってもらうしかないな。

そんな気持ちで風太や日向子の様子を見守りました。
 
風太は菊之助が近づくたびにシャーと鳴いて逃げ回ってたけれど、1週間ほどで自分から菊之助に近づき挨拶代わりの鼻キッスをするようになりました。

(続く)

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”ジェットコースター”の乗り心地

いやあ、まいったなあ。

昨夜から徹夜して、まだ眠れずにいます。
もうかれこれ28時間、ほとんど起きっぱなし。

眠くならない。寝たくない。睡眠欲求の低下。

ほらでた。躁状態のサイン。というか、もうなってる。

でも昨日の昼間は「猫に嫌われた」と言って落ち込んで泣いていました。

はい、鬱症状です。

要するに躁鬱混合状態みたい...

そもそもおとといからおかしかったんです。

なんだかわけもなくイライラしたかと思うと、ひどくくだらない(そのとき私はそう思えなかったけど)ことで気分が沈んだり。

居ても立っても居られないとはこのことか。

自分で自分の感情をコントロールもできない。気分は例によって上がったり下がったり、ひどいときは2~3時間ごとにクルクル変わって...

坐骨神経痛が少し良くなったというのに、これじゃあなーんにも手につかない。

イライラが苦しい。どうにも制御できない。

で、また例のごとくプチOD(過量服薬)をしてしまいました(泣)

ロドピンを20錠。とても心地の悪い眠りに陥り、8時間ほどしてやっとまともに椅子に座って水を飲むことができました。

いつもながら、まともに意識をとりもどしたあとはひどい後悔がやってきました。

イライラのあとは激しい落ち込み。まったくもってODはなーんの助けにもなりません。ただつらいだけです。身体にも悪い。

とにかくこれは、急激な躁鬱の波というこわーい”ジェットコースター”にまた乗せられたのです。

なんでこんなにわけもなくイライラめそめそするのだろう?ジェットコースターなんて乗りたくない。

「なにかきっかけがありましたか?」と毎週来てくださっている看護師のI さんに聞かれて考えました。

そうだ、先々週のK先生との診察でのこと。

このところ低空飛行でで気分グラフは3くらい、でもときどき躁状態になって、落ち着かないと伝えました。

すると先生はPCの画面を見ながら

「ちょっと落ち気味で不安定だから、エビリファイを朝だけでなく夕飯後にも処方しますね」

おっと。そう来たかあ。いつもの「気軽にポチっと」薬が増える。ワンクリックで「匙加減」のつもり?

薬増やされるのヤダーって一瞬思ったけれど、たったの3mgだし不安定なのが続くのも嫌だなあと、その処方に「待った」は言いませんでした。

でもでも。それから約2週間が経って、このありさまです。

もう、せーっかく安定していた薬の処方。ちょっといじっただけで、こんなにつらい思いをするなんて。

いい加減、医師も学んでほしい‼

結局、きのうK先生と電話で話して、夕飯後のエビリファイ3mgは抜くことになりました。

はああ、それでもいままだ眠れない。

つらいよおおおお。

と思うでしょ?ところが、いま現在はイライラではなくて楽しい躁状態なのでちっとも苦しくない。

”ジェットコースター”の乗り心地は、ワクワクドキドキはらはらずどーんの連続です。

さてこれから少し横になってみます。
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坐骨神経痛だって....

先週の水曜日のこと。

運動不足を解消するため、ふと思い立って軽いストレッチをしました。

そしてその翌日。左の腰から下、つまりお尻や太もも、膝、ふくらはぎの左側がビリビリっとひきつるように痛くなってきました。

座っていても、立っていても、はては寝ていても、ビリビリ。痛みは治まりません。

それで、今週の月曜日に近所の整形外科クリニックに行ってきました。

朝一番で行ったのに、もうたくさんの患者さんが待っていました。

見たところ、あきらかに60代後半から70~80代のご高齢の方が大半を占めていました。

あやや、場違い? 
と一瞬思ったけれど、ふと我に返りました。
私だってもう50代半ばだ。さほど違わないか・・・・

ご高齢の患者さんに囲まれて腰の痛みに耐えていたら、なんだか急に老け込んだような気分になってきました。

高齢化社会に早くも仲間入りだわ~。がくぜん。。。

そんなことを思いながら待合室で立ったり座ったりして痛みを耐えていたところ、看護師さんに呼ばれて問診。それからレントゲンとMRIを撮って診察を待ちました。

10分ほどして診察室に呼ばれて、院長の診察。40代前半くらいのテキパキとした感じの先生です。

診察台に寝て、先生に言われるまま、片脚ずつ膝を伸ばしたまま上に直角に上げました。でも、左脚は腰から下に激痛が走って、少ししか上げられません。

「あ、いたたた!」

「ふむ、これが痛いですね」となにか納得したように先生。

「じゃあ、こうしたらどう?」と足の指をそらすように言って、その指を上から押してきました。左の親指に力が入りません。

「はい、いいですよ、椅子に座ってください」

診察台から降りて先生と向かい合いうように腰かけると、「どうもこれは坐骨神経痛ですね」。

はあ.....坐骨真剣痛?

「椎間板ヘルニアの症状ですね。このようにヘルニアが少しですが飛び出していて、これが神経を圧迫して痛みが走るわけですね」

先生はレントゲンとMRIの画像をみせながらわかりやすく説明してくれました。

「坐骨神経痛」。

若い人でもなる病気の症状らしいけれど、なんだか急に年老いた感じがします。

とにかく、炎症と痛みを抑える飲み薬と湿布薬をもらって帰ってきました。

できるだけ安静にして、と言われたので(というかそうするしかない)ほとんどベッドに横になって過ごしています。

湿布は自分で腰に貼るのは難しい。ということで夫の出番です。

腹ばいになり、お尻が少しのぞくくらいまでパジャマのズボンを下げて....

「こんな歳になってお尻見せられてもなんの欲望もわかないなあ」と言いながらしぶしぶと湿布を貼る夫。

なんでこんなこと言われなきゃならないのー!

と怒ってはみても、痛い痛い。頼りにするしかない。辛いなあ。

こうしてブログを書いているいまも腰と脚がピリピリと痛みます。

寄る年波には勝てない。

そんなことをひしひしと感じています。


★今日の気分グラフ=3
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復帰いたします

とっても久しぶり。約1年ぶりの更新です。

このブログを読んでくださっていた皆さま、申し訳ありませんでした。

この1年、いろいろありました。

躁鬱の症状が悪化し、8か月間に3回の入院

夫のうつ病(男性更年期障害)の発症。

顔面帯状疱疹のため1週間の入院。

そしてこの秋には1か月近く続いた風邪のあとの、椎間板ヘルニア発症(現在治療中)などなど。

いやー、なんとも波乱の日々が続きました。大変でした。

なによりも、去年の9月頃より今年の4月末まで躁鬱のために入退院を繰り返したこと。

それがブログ中断の一番の理由でもあります。

ある時期はひどい鬱だったり、またある時期はハイパーテンションの躁だったり、とても不安定な状態が約8か月続きました。

でも、今年の2月から4月末の入院期間中、大幅に薬を減らし、
週間スケジュール&気分グラフ表なるものを毎日つけるという治療を受けたら、
ぐんぐんと状態が良くなって状態も安定しました。

(この期間の入院生活のことはまたあらためてお話ししますね)

退院後は、毎週2回訪問看護士さんに来てもらって、薬や体調、週間スケジュールの管理を助けてもらいました。

これがすごく良かった。

家事を一定のレベルで続けてできるようになり、そのことがうれしくてさらに状態が安定してきました。

これで今年は順調に過ごせる。

そんな期待がふくらみました。

ところが・・・。

いつも頼りにしていた夫が6月頃からなんと鬱になってしまったのです。

これにはとても参りました。

だってふだんはお気楽そのもの。なんとかなるさが口癖。

お風呂に入ればいつも演歌(!)が聞こえてくるような人でしたから。

そんな人が急にひどく落ち込み、過去の後悔や先行きの不安、自信喪失にさいなまれて、身動き取れなくなってしまいました。

私はそんな夫の愚痴を毎日聞いて、一生懸命励まし、それまでは彼が手伝ってくれていた家事もすべてこなさなければなりませんでした。

そんな日々が約3か月、9月中旬まで続きました。

でも、ふたりで鬱になって共倒れはできない。そう気が張っていたためでしょう、私自身は体調を崩さずになんとか乗り切りました。

それで今年は無事に行けるかなと思っていた矢先、9月中旬に顔面の帯状疱疹になってしまいました。

聞いてはいたけれど、この帯状疱疹、とにかく泣きたくなるほど痛かった!

顔面帯状疱疹は三叉神経をウイルスに攻撃されるもので、私は右側の額や瞼が腫れあがって強烈な痛みに襲われました。

深刻な場合は失明や髄膜炎になってしまう可能性があるからということで、1週間入院して毎日一日中点滴を受けました。

瞼の腫れはまるで四谷怪談のお岩さんのようになり、、赤い腫れの痕がなかなかとれず顔に残るのではないかと不安がつのりました。

そんなわけで、予想外につらかったけれど、痛みや腫れは入院中におさまり約2週間ほどで症状がなくなりました。

10月に入ってから、しばらくは平穏無事に過ごしていました。

これでもうさすがに落ち着くだろうと思っていたところ、10月下旬から風邪をこじらせて、ときには寝込んでしまいました。

そしてやっと風邪が治ったかなあと思っていた先週半ば、左半身の腰から下にびりびりとした痛みが走るようになりました。

整形外科に行って診てもらったところ、「椎間板ヘルニアですね」、と。

ひえー。

まったくもって、次から次へと参ったなあ、です。

まるで今年は病気の「当たり年」といったところ。

あ、歳のせいもありますね。(汗)

とにかく、いままさに腰の強烈な痛みと闘っているところです。


まあ、こう振り返ると大変なことばかりの1年だったようですが、そんなことはありません。

何よりも、おととし去年と、とても不安定だった双極性障害(躁うつ病)の症状が今年の初夏からだいぶ落ち着き、前にも書いたとおり、家事が6割から7割はほぼコンスタントにこなせるようになってきました。

子宮体癌の術後の経過もいたって順調。定期健診はまったく問題ありませんでした。

そして、長年の夢だった歌舞伎座デビューを果たしました!

7月には市川海老蔵さんが主役の演目を、さらに10月には中村芝翫襲名披露の舞台を観に行きました。

これは今年、もっともうれしくワクワクした出来事でした。(歌舞伎座デビューのはなしはまた後ほど)

また、8月にはハノイ旅行行きました。ハノイの街歩きだけでなく、ハノイ郊外への一日バスツアーにも参加。4泊5日、体調を崩すことなく、思う存分楽しみました。

そのほかにも、岩手県平泉や花巻へも旅行しました。


というわけで、良いこと悪いこと、いろいろとあったこの1年ですが、なんとか無事に復帰します‼

これからまた、気まぐれな更新になるかもしれませんが、なにとぞ長い目で見てくださいね。

どうぞよろしくお願いします。
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躁鬱なシルバーウイークの結末は…

シルバーウイークも今日で終わりです。 これといってどこかにお出かけすることもなく、5日間の連休が過ぎました。

振り返ってみると、気分は上がったり下がったり。安定しませんでした。

蔦谷でDVDを借りて夫と観たり、父の墓参りに行ったり、義父母と一緒に夕飯を外食したり、ヤマダ電機でiPad Air2を買ったり・・・それなりに活動的で躁気味のときもありました。

でも、なんだかなあ。

最終日の今日。まったくすっきりしません。

朝から何もやる気がしない。

お天気がいいのに洗濯ができない。掃除機をかけるのも億劫。ましてや料理なんてできない。

何もせずに、午後はほとんど寝て過ごしました。

夕飯は夫に勝手に食べてもらい、私はインスタントの春雨スープとサラダだけ。

そう、欝状態です。

先週の今頃までは、入院しなくてはどうにもならないほどの躁状態だったのに。

この2日ほど、眠くて眠くて仕方ない。 昼寝に加えて、夜も10時にはとろ~んと眠くなって寝てしまいました。

これに比べて、ここ1ヶ月ほどの躁状態のときは、睡眠時間は長くても5時間くらい。 まったく昼寝なんてしたくありませんでした。

シルバーウイーク前半の先週の週末(土日)は、「半沢直樹」や「グーグーだって猫である」(どちらもTVドラマ)のDVDを夜中まで観て過ごし、睡眠時間は約5時間でした。

つまり、シルバーウイークの5日間で躁鬱が逆転したようなのです。

デパケンの威力について書きましたが、確かに徐々に躁が落ち着いてきていました。でもここにきて、その効果がありすぎで、欝に転じてしまったように感じるのです。

いまは抗うつ薬をまったく飲んでいません。

怖い。

いきなりドスンと落ちたらどうしよう。

”軟着陸”できなかったら・・・。

入院の目的も変わってくるかもしれません。

激欝になる恐怖がシルバーウイークの最後に襲ってきました。

とにもかくにも明日、K先生に電話です。
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デパケンの威力

昨日は眠くて眠くて、さっさと寝てしまいました。

このブログ、筆者が双極性障害だけあって、とっても気まぐれで。 申し訳ないです。

躁状態のときは、毎日のようにバーっと記事を更新するのですが、欝に入るととたんにだんまり。

半年以上も更新しないことも。すみませんです。でも、これが私です。

できれば毎日、更新したいのですが、それもなかなか・・・・。

いまは一応、躁状態なので、こうしてなんとか記事を更新しています。

今日は早朝覚醒。午前5時過ぎに目が覚めました。

入院が決まっているのですが、ここ数日、頓服のりスパダールも必要ない。

落ち着いています。

あの嵐のような躁状態が嘘のようです。

で、なぜに?と考えました。

結論はやっぱり、薬のおかげ。

躁状態になって4日後。K先生に受診。K先生は入院をほのめかすも、私が躊躇したので、その代わりに薬の処方を大幅に変えました。

それまで飲んでいた薬は朝夕にリーマス、ラミクタール、エビリファイ、レキソタン、眠前としてサイレース。

このうち、先生曰く「抗うつ薬はすべて抜く」。 ということで、ラミクタールレキソタンを中止。

そのかわりに、処方されたのがデパケン(200mg×2錠/一日)とロドピン(25mg×4錠/一日)でした。

ロドピンはそれまで頓服として使っていたもの。興奮を鎮め、不安や緊張をやわらげる作用があります。

確かに、頓服で使っていた時も、一回1錠でしたけど、ふわ~っと眠気が来て、なんとなく落ち着きましたが、頓服としては1日に3回までしか飲めなかったので、激しい躁状態には効果が不十分でした。

それでK先生は朝夕の定時の薬として、一日に4錠飲むように処方しました。

そして、デパケン。 

ネットなどの情報によれば、デパケンはてんかんの発作を抑える作用のある薬だけれど、躁状態を鎮静させる効果もあるとのこと。気持ちの高ぶり(高揚)を抑えるわけです。

これはありがたい。効いいてほしい。 私はデパケンに期待しました。

最初に処方されたのが9月3日。

そして先週の半ば(9月16日)頃から、頓服の量が急激に減って、気分の高まりがだいぶ収まってきました。

つまり約2週間で、どうやらデパケンの効果が出てきたようなのです。

すごい。

だって、つい1週間前までは、1日に4回は頓服(りスパダール液、ワイパックス)を内服しないと、気分が高まって落ち着かなかったのに。

いまはケロッとしています。 入院が必要ないのではないかと思われるくらいl。

デパケンさまさまです。

もちろん、それまでも継続して飲んでいる気分安定剤のリーマスやエビリファイも効力があるでしょうし、なにより、抗うつ剤を飲まなくなったことも影響しているでしょう。

でも、デパケンが躁を抑えるのに威力があることは双極性障害を患っている患者さんの間では、自明の事実のようです。

これからの課題は、デパケンを飲みつつ、どうやって欝にドスンと落ちることなく「軟着陸」できるかですね~。
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待ち焦がれるメールの返事

来ない、来ない。返事が来ない。

メールを送ったのが一週間前のこと。

気にしないでいようと思っても、ふと思い出しては、なぜだろうと思い巡らしています。

例の初恋の人に久しぶりに送ったメール。

返事は期待していない、というのはちょっと嘘。

やっぱり、気になります。

できるだけ、負担にならないような短いメールを心がけました。

返事も期待していないふりをして。

どうしたのかなあ。秋だから、学者の彼は学会とかシンポジウムの発表で忙しいのかなあ。

忙しいから返事もできないのだ、と自分に言い聞かせます。

でも、いつも私が体調を崩したり、入院したりしたときに限って

彼からのメールが舞い降りてきます。

今も、入院を目前にして落ち着きません。

きっと、そのうちにふらっとメールが来るだろう。

そう思いつつ、内心は待ち焦がれています。
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3回のOD(過量服薬)と躁状態は突然に

「入院しますか?」

先日のK先生の診察でのこと。診察室に入って座ろうとしている私に、K先生はいきなりそう言ってこちらを見ました。

入院とは。。。そのときは、まだ心の準備ができていなくて、猶予していただきました。

でも無理もないのです。

このところ、躁状態が続いています。 もう1ヶ月近く。 なんともはや。,,,

入院を打診されたときまでに、なんと3回も毎週OD(過量服薬)をしていました。  自分でも理由がわからずに。

疲れていたせいかもしれません。

そう、確かに疲れていました。

最初のODをしたのが8月19日。その2日前にバリ島旅行から帰国したばかりでした。

バリ島旅行は楽しかった。無理もしませんでした。プールサイドで惰眠をむさぼり、たまに町まで散歩に行って・・・。

ただ、帰りの飛行機が夜行便だったのがまずかったかも。飛行機上で一夜を明し、あまり十分な睡眠がとれませんでした。

そんなわけで、帰国してすぐにダウン。

一日中、寝てばかりいました。何もできずにいました。そんな自分にイライラ。焦燥感が募っていきました。

そして気を失って熟睡したいという気持ちが突然に襲ってきました。

そんなわけで、最初のODは頓服のワイパックス(ロラゼパム)10錠、ロドピン5錠。

薬を飲んで間もなく、ものすごい睡魔に襲われ、コトっと寝てしまいました。

約5時間後に目覚めて、後悔しました。

でも、1週間後に今度はロドピンを12錠飲んでOD。5月から週一回お願いしている訪問看護の看護師さんに緊急で来てもらって、頓服の薬を預かってもらいました。

そんなふうにODを繰り返したため、体調はどんどん崩れていました。

そして2回目のODの3日後の朝。

なんだか訳もなく気分が高揚していました。 そう、突然の躁転でした。

おしゃべりがしたくてたまらない。 用もないのに、友達に次から次へと電話しました。気がついたら1時間の間に6人。

そばでその様子を見ていた夫が、唖然としていました。  「おい、声が高ぶってるぞ。大丈夫か」 

大丈夫じゃないよお。 でも、どうにもしようがない。

一通り電話をしたあと、今度は去年ハマっていた大人の塗り絵に手をつけました。

午前10時半頃に塗り始めて、ひたすら没頭して塗り終わったのは夜の10時。約12時間も塗り絵をしていました。

その日はそれだけではありません。

夜の11時になって、突然にカラオケがやりたくなり、渋る夫を急き立ててカラオケに行き、夫とふたりで夜中の1時まで2時間も歌いっぱなし。

カラオケから帰宅してからも、とにかく楽しくて仕方ない。 夫を相手におしゃべりして、結局、寝たのは4時半頃でした。

そして翌朝6時すぎには目が覚めました。1時間半くらいしか眠らなかった。 

でも眠くない。それに、なにかしていないと気がすまない。過活動。

躁転した翌日も連日でカラオケに行き、2時間半、歌ってきました。

そして躁転して5日後のこと。3回目のODをしてしまいました。

睡眠不足のせいです。毎日、4時間くらいしか眠っていませんでした。

眠れない。寝たくない。両方が原因です。

頭は冴え渡っています。でも、身体がだんだん疲れてきました。 

午後2時頃にロドピン17錠。また看護師さんに来てもらい、脈拍や血圧を測ってもらいました。

看護師さんが帰るところまでは覚えていましたが、そこから先は記憶がありません。気がつくと、ソファで寝ていました。外はすっかり暗くなっていました。

ODをする度にK先生の連絡していました。かなり心配をかけていたようです。

そこに追い討ちをかけるような、突然の躁転。

K先生だけでなく、訪問看護ステーションの所長さんも、入院したぼうがよいのでは…と警鐘を鳴らしました。

躁状態は今日まで続いていて体調がガタガタです。

結局、昨日の診察で、連休明けに入院することになりました。

今日の気分グラフは4。
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躁鬱混合な一日

約1っヶ月ぶりの更新です。

このところ、ODを繰り返したり、躁転したりで、落ち着かなかったので。

と言い訳けして、どうする。。。

なんだか私のブログは日記というより、エッセイっぽい。

そんなんでいいのかなあ。

と、ふと今朝、思いついて、久しぶりにPCを開いたら、もう止まらない。

いろいろなブログを参考にして、デザインやカテゴリの変更に没頭。

気がついたらあっという間にお昼です。ほぼ4時間も休みなく、でした。

これは躁状態だな。

でも、頭の回転はフルスピードだけれど、なんだか気分はメランコリックです。

いまひとつ晴れ晴れとしない。うつ気味です。

入院が決まって、ほっとしたはずなんですが。ほっと、だけではなくて、確かに憂鬱でもあります。

だって、今年は1月から4月中旬まで3ヶ月半も入院したのに。

もう、すっかり良くなったと思っていたのに。  

がっかりです。 気が抜けた感じ。

躁状態だけど、メランコリック。 そう、躁鬱混合です。

午後は昼過ぎに夫の運転で、先日夜間救急にかかった病院に診察料の精算をしに行きました。

14時頃に帰宅すると、ドッと疲労を感じてベッドに直行。 5分もしなかったでしょう、すぐに寝入りました。

トゥルルルル。 電話が鳴って目が覚めました。

急いで受話器を取って「はい○○です」と言うと、「お世話になってます、訪問看護のKです」と聞き覚えのある声が受話器の向こうから聞こえてきました。

「今から伺いたいと思いますが、大丈夫ですか?」と訪問看護ステーション所長のKさん。

「はい、大丈夫です、ありがとうございます」

というわけで、約10分くらいしてKさんが訪問してきました。

ありがたい。 ODを3回立て続けに繰り返して以来、土日をのぞく毎日、看護師さんが訪問してくれています。

頓服をODしたので、これ以上繰り返さないよう、頓服は一日分だけ渡してもらっています。
(もともとOD癖があって、去年の11月にも2回続けてODしたりしたので、4月に退院後、訪問看護をお願いして、1週間分の薬をカレンダーのような配薬表に配薬しもらうようにしました。これで定時の薬をODする危険性は下がりました)

Kさんを始め、訪問してくださる看護師さんは、気さくで優しく、本音で話しをしやすい人たちばかり。

今日も、躁なのに落ち込みがちな気分の状態や、入院の手続きの煩雑さについて、不安や愚痴を聞いてもらいました。

訪問看護の効果は期待以上です。 ひとりで双極性障害と闘っている人に、ぜひお勧めしたい。

少なくとも私にとって看護師さんは、夫と主治医のK先生に加えて第三の心強い味方になっています。

というわけで、今日はやや鬱々しながらも、Kさんのおかげで気分転換ができました。

そして、こうして夜中までブログを書くほど頭は躁状態です。

今日の気分グラフは7。やっぱり入院かなあ。
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暑気払い

暑い! 暑い! 暑ーい!!!

このところ、日本列島、猛暑に覆われてますね。

私もバテバテです。食欲もない。

でも、なにか食べなければなあ。

ということで日曜日の昼はそうめんをゆでました。

氷を載せて、冷え冷えになったそうめんを、つるつるっと。

うん、美味しい! 夫とふたりで、3束ゆでたそうめんをあっという間に食べてしまいました。

夏バテの私は、寝室の冷房をガンガンかけて、昼寝。

夕方、「夕飯、どーする?」と夫に声をかけられて、目が覚めました。

あまりに暑くて、車はあっても外に出る気にならなくて、買い物していません。

どーしよう。冷蔵庫をのぞくと、知人からもらった無農薬の茄子がたくさん。

レタスもありました。

キッチンに立つのも億劫だけど、茄子を煮て、サラダをつくることにしました。

手抜きで、本だしを使って味付けをして、15分で料理終了。

夫は自分で焼きそばをつくりました。

茄子がおいしい。油っこくないから、胃にもやさしい。

気がついてみると、私たちは、暑気払いをしていたんですね。

暑気払いとは、暑い夏に冷たい食べ物や身体を冷やすものを食べて、身体の熱を取り除き、厚さを払う風習です。

東北地方では、そうめんやかき氷をたべることを暑気払いというそうです。

また夏野菜も身体を冷やす効果があると言われています。 茄子を食べたのは、暑気払いになったわけですね!

ちなみに、江戸時代から明治にかけては漢方を飲んだり、むしろ薬湯のようなものが飲まれていたそうです。枇杷や桃の葉を煎じた「枇杷葉」というものが暑気払いとして江戸・大阪などで辻売りされていたのだそうです。

いまは、暑気払いというと、暑さをのりきろうと飲み会や宴会を開くことを言うようになってますけど、身近な食生活の工夫で暑気払いできるのですよねー。

ああ、今日も朝から30度。暑い、暑い。


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子宮・卵巣全摘出後の経過

このブログの内容は、おもに3つのテーマに分けました。

1.日常の雑感や日記
2.躁鬱病のこと
3.子宮体がん0期の診断・手術・術後の経過

このうち、3の子宮体がんについては、手術を受けたところまで書いて、術後については手をつけずまいでした。その理由のひとつは、躁鬱病のほうの状態が落ち着かず、ブログを書けずに時間が経過してしまったことがあります。

手術後の退院までの経過は、もう1年以上前のことで、正確には書く事ができません。

ただ、術後、翌日の午後には立って歩いていたこと。
お腹に鈍痛はあったけれど、とにかく歩くようにと看護師さんに言われて、廊下を2日目、3日目には何往復もしたこと。
食事は術後2日目からは普通食が出たこと。
3日目にはシャワーを浴びる許可が出たこと。
5日目に内診があり、特に問題はないと言われほっとしたこと。

などを覚えています。そして入院して7日目には無事退院しました。

退院してまずしたことは、食べたいものをお腹いっぱい食べることです。
なにせ手術前の1ヶ月は泣きたくなるほどストイックな減量をしていたので。

千疋屋でフルーツパフェを食べ、お昼ご飯はちょっと贅沢に中華料理店で五目そばと餃子とチャーハン。
涙がでるほどおいしかった!

術後の最初の診察は退院から約1ヶ月後でした。細胞診と超音波、内診。

その1ヶ月後だったか、細胞診の結果を聞きに診察。問題なし。

それからは約3ヶ月に1度の検診を受けてきました。

いつも不安にはなるのですが、経過は問題なく、その度にほっとしました。

つい先月にも検診を受け、5月にやった細胞診の結果も問題なし、手術から1年以上経っているということで、次の検診は1年後ということになりました。ほぼ無罪放免です。

ということで、術後の経過については、ひとまずこれにて終わりにします。

また、何か異変がありましたら、随時、お知らせします。

それにしても、つくづく、早期発見、0期であったこと、よかったと思います。

3ヶ月の入院から生還

ずいぶんご無沙汰しました。 

例によって欝に入って、すっかり何もできなくなっていたのです。  (これ言い訳)

そして今年の年明から約3ヶ月半入院しました。 真冬に入院して、桜の季節を過ぎてからの退院でした。

入院に至る予兆は去年の10月ごろからありました。

このブログにも書いたように、欝で寝込んでばかりいて、日常生活はハチャメチャでした。

お風呂に入るのは1週間に一回。家事も完全放棄。

夕飯の仕度は夫がしてくれていました。でも片付けや掃除はほったらかし。家は散らかって、見るだけで欝が悪化する始末でした。

躁鬱混合に悩まされ、過量服薬OD)も2回。

ふだんはあまり入院は勧めないK先生も、さすがにこれは何とかしなければと思われたのでしょう。

12月上旬に「今月半ばには入院しましょうかねえ」と。

私は、やっぱり・・・と思いつつも、クリスマス、お正月は家族と過ごしたくて

「先生、年を越すまではなんとか家で頑張りたいです」とお願いしました。

「では、年が明けたらすぐに入院ですよ」とK先生は妥協してくださいました。

ということで、今年の1月10日に入院しました。

入院当初は、欝が少し持ち直しかけている状態でした。

といっても、いまダイアリーのメモを見ると、午前中は回診を受けたりと起きていたけれど、
午後は昼寝をしていることが多かったのです。

あとは、見舞いにきてくれた友人と病院のカフェでお茶したり。

あれほど熱中していた大人の塗り絵「ひみつの花園」には、まったく手をつけませんでした。

でも、看護師さんや担当医の先生と話をして、入院の目標を決め、少しずつ活動的になっていきました。

2月になり、やっと病棟のロビーに出たり、患者さんに誘われて近所のカフェに行くようになりました。

欝状態もだいぶ改善して、朝は必ずパジャマから洋服に着替える、簡単なメイクもする、お風呂には最低週に3日入る、洗濯を週に1回する、などの目標をこなせるようになりました。

同じく入院している患者さんの中で、一緒にロビーでご飯を食べる仲間ができ、おしゃべりをする機会が増えて、気分もさらに明るくなっていきました。

毎朝、朝食前に病院内にあるスタバにコーヒーを買いに行くようにもなりました。

すべてが順調。 この分だと2ヶ月もしないうちに退院できるかもしれない。

そう思っていた矢先、急に躁転してしまいました。

入院してから毎日、気分グラフをつけていたのですが、何がきっかけかわからないけれど、前日、「4」だったのが「8」に急上昇したのです。

ウキウキ、楽しくて仕方ない。あんなに億劫だった外出がしたくてたまらない。買い物に行きたい。

主治医のK先生が回診に来たとき、私は大声で「先生、躁転しちゃいました!」

K先生は「あらら、どうしたのかな?」と、さほど驚いた様子はなく、だけど、身体を動かすように、それからくれぐれも買い物だけはしないように、1日3000円まで、と念を押して去っていきました。薬は変えませんでした。

私は元気いっぱい。病院から歩いて20分くらいのところにある浜離宮まで出かけたりしました。仲良くなった患者さんと無印良品まで行って3000円以内で買い物をしたり、ネイルサロンに初めて行ってジェルネイルをしたり(K先生にあとで叱られました)・・・。

そんなこんなで、気分グラフが8とか9とかいう日が2週間ほど続いたあと、突然、急降下する恐怖に襲われ、過呼吸を起こしました。

それから2、3日して、今度は気分グラフが1とか2という、酷い欝状態に。

着替えもせず、メイクもせずという日もありました。お風呂にも何とか週に2日。

部屋にこもって、ロビーにも出ない。食事は部屋でひとりで。誰ともほとんど口をきかない。看護師さんとだけ。

そう、その辛い時、看護師さんにはほんとうにお世話になりました。辛い気持ちを聞いてくれて、なぐさめてくれたり、どうしたら元のように元気になれるか一緒に考えてくれたり・・・・。

K先生はもちろんでしたが、今回の入院は、スタッフの支えに助けられ、欝と躁の波を乗り越えることができました。

辛い欝も4月に入る頃には治ってきました。

そのきっかけのひとつは、K先生のアドバイスです。

「過去は見ない。これから先の人生をいかによく生きるか、を考えてください」

「何か楽しいことを考えてみてください。例えば昔、あなたが住んだボストンに行ってみるとか」

私は、そうか!と目からウロコの気分になりました。

いろいろ、やりたいこと、行きたいところがあるじゃないかと。それを実現することを考えるだけで、力がよみがえってきました。

とりあえずは5月の連休のころに旅行に行こうと、計画を立てました。以前から夫と話していた宮古島へ。ウキウキしてきました。

外泊のときには、それまでできなかった家事をやってみました。料理を一品つくることだけでしたが、病気のためにずっとできなかったことができたので、嬉しいことこの上ない。退院したら、少しずつ家事を増やしていこう。

そして、かねてからの夢だったことを退院したらやることも決めました。

フルートを習うことと、ホスピスでボランティアをすることです。

こんなふうに将来に向けてのいろいろな計画を立てているうちに、すっかり元気になりました。

薬はいっさい増やしたり、変えたりしなかったのに。

不思議なものです。

でもとにかく、そんなわけで私は入院前とは見違える程、心身ともに充実した状態で、4月の中旬に無事に退院したのです。

退院してから、計画通り、宮古島に行き、家事もこなし、フルートを始め、ホスピスのボランティアにも行っています。

これらのことは、またおいおい書いていきます。

長くなりましたが、今年の入院についてご報告でした。

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久しぶりのフラットだね~イブの夜

昨日はイブだよ。クリスマスイブ。

クリスチャンとしては、心静かにイエスさまのご降誕を祝い、お祈りしました。

でも、やっぱりイブは楽しみなイベントでもあるよね。家族にとっては。

イブの食卓は、もう一昨日、夫がローストチキンとクリスマスケーキを買ってあったから、準備万端。

ところが私といえば、一昨日、年賀状の宛名書きとひと言書きを70枚もやったので、疲れきって。

朝から体中が痛くて、頭痛もして、風邪をひいた模様。 まいったなあ。

おまけに下腹部が痛む。子宮は摘出してあるから、なんでだろう。何か異常があるのかと、少し不安に。

そして精神的なこと。このところ、不調が続いていて、日替わりで欝と躁がやってくるような感じだから、どうなるかなと少し心配していた。

でも、体が痛い、頭痛がする、というわりには、欝でもなく、躁でもなく、ちょうど気分グラフでいえば5。つまりフラット!

久しぶりのフラット!

振り返ってみてもどうも、3ヶ月ぶりくらいだ。

イブだからなのか。神様がからのプレゼントか。

体は思うように動かなかったけれど、夫が準備してくれたローストチキンとサラダの食事、そしてそのあとはホールケーキをふたりでふたつに分けて、ペロリと平らげた。

風太と日向子も、ビーフの缶詰でご馳走。

家族みんなが笑顔。

フラットな気分で、夜が更けていった。

Happy Crhistmas !

(気分グラフは5)
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ODの因果応報(その2)

ODをして、自宅から車で10分ほどのところにある病院に入院した。

夕方5時頃にODをして、おそらく7時頃に意識が無くなった。

目を覚ましたら、夜中だった。喉が渇いていた。ナースコールのスイッチを押さなきゃ。

ナースコールに手を延そうとして、あれ?

腕がだらりとしてなかなかナースコールに手が届かない。

やっと届いたと思ったら、今度は手が震えて、スイッチの位置がわからない。

震える手でナースコールを暗闇のなかであれこれいじり、やっとの思いでスイッチらしきところを押して、看護師さんに来てもらって水を飲むことができた。

夜中じゅう、何度か水を飲むために、同じような苦労をした。

朝になって、スマホで友人に短いメールを送ろうとして、また愕然とした。スマホが重い。キーボードを打とうとしても手が震えて、1行くらいを書くのに5分くらいかかる。

そして今度は、レントゲンを撮りに行くのでベッドから車椅子に移るために立ち上がろうとしたら、脚がガクガク震えて力が入らない。

薬が相当、身体のなかに残っているんだなあ、胃洗浄しなかったからなあ。

だんだんと自分が直面している身体的問題を自覚しはじめた。

入院は2泊3日することになった。

その間に、手の震えはすこーしずつおさまってきたけれど、脚のほうはどうにもならない。ガクガクだ。ひとりでは立って歩けない。

3日目の退院の日。もう一度、歩いてみた。少しよくなった、ひとりで一応、歩ける。

でも、やっぱり力が入らなくて、鉛のように重くて、歩くとガクガクした。

不安な私に、主治医は、薬が抜けていけば元通りになるから心配しなくて大丈夫と言った。

ほんとうかなあ。こんなにガクガクしてるのに・・・。

いままで何度もODを経験したけれど、3日も薬が体内に残って、しかも脚がふらつくなんてことは一度もなかった。

胃洗浄をしなかったというのが、この脚のふらつきの要因のひとつだとはわかっていたけれど、あの当直医を呼び出して、今更、なぜ胃洗浄をしてくれなかったのですか?と聞いても意味ははい。

だいたい、50錠ものんじゃったからねえ、と何度も看護師さんに言われた。そのとおり。

私が悪いのだ。自業自得。

退院して2日後はK先生の診察だった。K先生が務めるかかりつけの大学病院までは片道2時間かかる。

その道中も、脚がふらふらして、さっさと歩けなかった。

ODをしてから、もう5日目だ。

診察室に呼ばれて、よたよたと歩いて中に入ると、いつになく神妙な顔つきのK先生と目があった。

私は椅子に座りながら「先生、脚に力が入らないんです。」ガクガクしちゃって」と訴えた。

するとK先生、「50錠も飲んじゃったからねえ。少し脚の筋肉が融解してしまっているかもしれないねえ」

筋肉が融解!してる!?

とっさに私は「先生、車椅子生活になるんですか?」と聞いた。

「いや、そんなことはないでしょう。ただ、脚の力が戻るまでに時間がかかるかもしれない、血液検査をしておきましょう」

とK先生。

「筋力をつけるためには、筋トレしたほうがいいですよね」と気楽に聞いた私に、

K先鋭は「いや、しばらく安静にしていてください」

安静。

思いがけない言葉に少しドキリとした。

血液検査で何がわかるのかを呆然として聞きそびれた。

今日もまだガクガクしている。  不自由だ。

これもODの因果応報だなあ。

ODの後遺症がまさか一生、のこるわけではないよね。

血液検査の結果が気になりながら、自分に言い聞かせている。
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こねこ時計
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プロフィール

葉菜

Author:葉菜
猫・海・桜が大好きなおっとり癒し系。双極性障害(躁うつ病)と境界性パーソナリティ障害を患い、精神科通院歴15年。2014年には子宮体がん(0期:子宮内膜異型増殖症)のため子宮・卵巣全摘手術を受け、現在経過観察中。興味のあること:写真撮影、旅行、読書、映画鑑賞、カフェ巡り、絵画鑑賞、クラシック音楽など。猫3匹と夫の5人家族。

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気分グラフについて
「気分グラフ」とは、寝る前に一日を振り返って、その日の気分の状態を記録するグラフです。1から9までのスケールで、1は最悪(酷い鬱状態)、5が普通、そして9がマックスの躁状態です。その日の状態にあてはまる数字に〇をつけます。そしてそのような気分に影響したと思われる出来事をメモします。また天気や睡眠時間も記録します。これによって自分の状態を客観的に振り返り、1,2週間の気分の波を一目で見ることができます。
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